ステーキ離れのニュースを見て率直に思ったこと
このようなニュースがありました。
タイトルは「『ごちそう』の概念が変化 Z世代の『ステーキ離れ』が加速している意外な理由」。
記事を読む前、私は「また物価高の話で、手頃なステーキさえも買えないという嘆きかな」と想像していました。しかし、その記事の中身は私の予想の斜め上を行くものだったのです。
Z世代の若者がステーキを敬遠している理由が想像の斜め上を行っていた!
このニュースに書かれているのを真実として、Z世代の若者がステーキを敬遠していると思われる理由を箇条書きにすると、以下のようなものでした。
- 子どもの頃から柔らかい食べ物に慣れすぎていて、噛む力が弱くなっている。
- 噛む回数が多いステーキは単純に“疲れる食べ物”として敬遠されやすい。
- 厚切り肉をナイフで切り分けながら食べるという行為そのものが、彼らにとっては“面倒くさい”“非効率”と映るのかもしれない。
- “脂っこさ”や“胃もたれ”といった身体的負担。
- “健康に良くないイメージがある”と避けられる
ステーキをかむのが面倒で、疲れる?ナイフで切り分けるのが面倒?健康に良くないイメージ?
ちょっとよくわかりませんでした。
「脂っこさや胃もたれなどの身体的負担があり、健康によくないイメージがあるから敬遠?」、「では、糖質たっぷりのスイーツや、添加物の多いホットスナックは身体的負担にならないのか?」とツッコミを入れたくなりました。
それにナイフで肉を切り分けることこそ、ステーキを食べるうえでの楽しみではないでしょうか。個人的には最初から切られているより、自分で切り分けて食べるのが好きです。
もちろん、「ごちそう」の定義が時代と共に移り変わるのは自然なことです。しかし、今回の理由は「ステーキ離れ」という食文化の変化とは、少し違う次元の問題を含んでいるように感じます。 (ちなみに、高級な霜降り和牛は噛む必要がないほどとろけますが、それはまた別の話…。)
楽な道を進み続けることによる弊害
この記事に信ぴょう性があるかどうかは正直わかりません。
しかし、この記事から読み取れるように「自分にとって負担がかかるから」「自分にとって面倒だから」「非効率だから」と避けて逃げているようであれば、苦労の先に喜びがあることを知ることはできないのではないかなぁと思うのです。それはステーキにとどまらず、恋愛・勉強・仕事にも通じることだと思います。
「考え方が昭和www」と一笑に付するのもかまいませんが、先人たちはそのように道を切り開いてきました。 自分で道を作るのは大変なことですが、自分で切り開いた道は、間違いなく充実した人生になるでしょう。
「ステーキ一枚と向き合う面倒さから、人生の喜びを掴むヒントが見えてくる。」そう思うのは、考えすぎでしょうか。
余談
「面倒だからやらない」なんて思ってたら、恋愛なんてできないぞ。
~終~
ここまで読んでくださりありがとうございました!では!
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