The Life Records Of Zeronicle

生きた記録をここに残す。とかっこよくいっていますが、ただの日記です。

付喪神に感謝を込めて

この話は「迷惑な爺さんと黒ずくめの老人」のスピンオフ作品です。

zeronicle.com

この現場にいた一人の若者が、何を見て何を感じどう動いたか…。

あなたも是非、感じ取って下さい。

付喪神に感謝を込めて

私は鈴木俊太。大学への通学で毎日同じ時間の電車、同じ車両に乗る。そこには、うんざりするほど見慣れた光景があった。

「チッ、また遅れやがって!」

忌々しげな舌打ち。多くの人で満ちた車内に響く、不快な怒声。そして、電車のドアをガンガンと叩く、暴力的な音。 例のオッサンだ。土方仕事でもしているのだろうか。日に焼けた顔が、常に苦虫を噛み潰したように歪んでいる。誰もが彼を腫れ物のように扱い、私もイヤホンで耳を塞ぎ、関わらないようにするのが日常だった。正直、視界に入れるのも不愉快だった。

そんなある日のことだ。いつものようにオッサンが「ぼろ電車が!」と喚きながらドアを叩いていると、彼の背後に、すっ…と一人の老人が現れた。 私は「うわ、誰か注意するのか?」と、少しだけ興味を引かれて目を向けた。だが、すぐにその異様さに気づいた。

老人が、半透明なのだ。

夏の暑い日に見える陽炎のように、その輪郭は僅かに揺らめき、黒ずくめの服の向こう側にある、他の乗客の顔や吊り革が透けて見えている。他の誰も、その異常さに気づいた様子はない。私の目にだけ、そう見えているようだった。

老人はオッサンの肩を叩き、静かに何かを語りかけた。イヤホンをしていても、その凛とした声は不思議と耳に届いた。

「……大変なことになりますぞ」

オッサンは一瞬黙ったが、すぐに逆上して「うるせぇ!」と怒鳴り返し、再びドアを叩き始めた。

その瞬間だった。

老人は、「……そうですか」と呟いたように見えた。そして、次の瞬間には、まるで水に溶ける煙のように、その姿が跡形もなく消え失せていたのだ。私は思わず「え?」と声を漏らしそうになった。周りを見回しても、誰も驚いていない。まるで、最初からそこに老人などいなかったかのように、日常の時間は流れ続けていた。

その日から、電車の中で見かけるオッサンの様子は、明らかにおかしくなっていった。

あれほど繰り返していた迷惑行為は鳴りを潜め、代わりに何かに怯えるようにキョロキョロと車内を見回したり、誰もいない空間に向かって何かをブツブツと呟いたりしている。日に日にその顔はやつれ、生気のない目が虚空を彷徨っていた。

あの半透明の老人は何だったんだろう。 そして、オッサンは一体どうしてしまったんだろう。

そのことが妙に気にかかり、私は家に帰ると、縁側でお茶をすすっていた祖母に、何となくその出来事を話してみた。

「へぇ、そんなことがあったのかい。」

祖母は私の話を静かに聞くと、湯呑を置き、庭の木々を眺めながらゆっくりと口を開いた。

「俊太や。物にはな、魂が宿るって言うんだよ。特に、長く人に使われた道具にはな、『付喪神(つくもがみ)』っていう、神様とも物の怪ともつかないものが宿るって、昔から言うじゃないか。」

付喪神……。民俗学の講義で聞いたことがある言葉だった。

「その電車も、毎日毎日、雨の日も風の日も、たくさんの人を文句一つ言わずに運び続けて……。きっと、ずいぶん古い車両だったんだろうねぇ。それを毎日叩かれたり、『ぼろ』だなんて悪態をつかれたりして……。とうとう、堪忍袋の緒が切れちまったのかもしれないよ。あんたが見たそのおじいさんは、もしかしたら、その電車の魂そのものだったんじゃないかねぇ。」

祖母の言葉に、私はハッとした。
電車の魂。あの半透明の姿は、物の魂が形を成したものだったのか。だから、私にしか見えなかったのかもしれない。いや、私が「たまたま」見てしまっただけなのかもしれない。

だとしたら、あのオッサンは、電車の魂に直接、警告されたのだ。そして、それを無視した結果、何らかの罰を受けているのでは……。そう考えると、すべての辻褄が合う気がした。

それ以来、私の世界は少しだけ違って見えるようになった。

毎日使っているスマートフォン。講義で書き込むノートとペン。履き慣らしたスニーカー。そして、私たちを大学まで運んでくれるあの電車。
これらすべてが、ただの「物」ではなく、意思を持つ存在なのかもしれない。私たちは便利だからと当たり前のように使っているけれど、彼らは文句も言わずに、私たちのために働いてくれている。

次に電車に乗った時、私はドアの前に立ち、心の中でそっと呟いた。
(いつも、ありがとう)

もちろん、電車が返事をしてくれるわけではない。けれど、ガタン、ゴトン、という規則正しい振動が、なんだか「どういたしまして」と応えてくれているように感じられた。

それからしばらくして、私はあのオッサンの姿を電車で見かけなくなった。彼がどうなったのか、私には知る由もない。

ただ、私は今日も、あらゆる物に感謝しながら生きている。それが私を、名状しがたい恐怖から遠ざけてくれていると、信じながら。


ここまで読んでくださりありがとうございました!では!

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