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がんばって働いても報われない?「独身税」と「再雇用」から見える、現役世代を覆う閉塞感の正体

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現役世代の閉塞感。やったら報われる社会であってほしい。
現役世代の閉塞感

毎月の給与明細を受け取ったとき、
あなたはどんな気持ちになるでしょうか。

「今月もがんばったな」という充実感よりも、
額面から引かれた社会保険料や税金の数字を見て、
思わずため息をついてしまう。
そんな瞬間が増えていないでしょうか。

一生懸命に働いているはずなのに、
手元に残るお金は一向に増えない。
むしろ、自由に使えるお金は
じわじわと減っているような気がする。

この、日々の生活の底に流れる
「得体の知れない必死さ」や「生きづらさ」は、
決して気のせいではありません。

最近、ネットやSNSのタイムラインを眺めていると、
働く世代のリアルな悲鳴とも言える
2つの大きなニュースが、定期的に物議を醸しています。

ひとつは、若年層や独身層を中心に反発が広がる
「独身税」という実質的な負担増のキーワード。

そしてもうひとつは、ベテラン世代が直面している
「定年・再雇用時の給料の低下」にまつわる不満です。

一見すると、これらは
「若者の不満」と「シニアの不満」という、
まったく別々のライフステージにある
独立した問題のように見えるかもしれません。

しかし、その根底にあるものを
じっくりと観察してみると、
実はひとつの巨大な社会構造の歪みへと
繋がっていることに気づかされます。

若い頃は「未来への投資」という名目で負担を強いられ、
年齢を重ねれば「次の世代への譲歩」としてハシゴを外される。

私たちが日々の生活で感じている
この割り切れなさは、一体どこから来ているのか。

今回は、この「独身税」と「再雇用」という
2つのニュースをフックに、
真面目に働く現役世代を覆う
「閉塞感の正体」について、少し深く考えてみたいと思います。

ネットで物議を醸す「独身税」という実質的負担増への違和感

ここ数年、SNSで定期的にトレンド入りする
「独身税」という不穏な言葉があります。

もちろん、国税庁の項目に
そんな名前の税金が実在するわけではありません。

しかし、配偶者控除の縮小や、
少子化対策のために上乗せされる社会保険料など、
「結果的に独身層の負担が重くなっている現実」を、
当事者たちは皮肉と痛みを込めてそう呼んでいます。

この問題に対して、
政府や社会のシステム側には明確な理屈があります。

「深刻な少子高齢化を乗り切るためには、
社会全体で子育て世帯を支えなければならない。
持続可能な社会を作るための、広く薄い負担なのだ」

という大義名分です。
この言葉自体は、教科書的に見れば正論かもしれません。

しかし、生きている個人のミクロの現実に目を向けると、
そこには激しいズレ(違和感)が生じています。

今、独身の若者や現役世代の多くは、
決して贅沢な暮らしをしているわけではありません。
むしろ、自分の生活を維持し、
家賃や日々の食費を払うだけで精一杯という人が大半です。

そんな彼らの足元から、
「社会のため」という名目でさらに手取りを削っていく。

その結果、何が起きているでしょうか。

経済的な余裕を失った若者たちは、
「結婚して家族を持つ」という未来の選択肢を、
さらに遠いものに感じてしまっています。

少子化を解決するための負担増が、
若者の体力を奪い、結果的にさらに少子化を加速させている。

ここに、マクロの辻褄合わせが生んだ
決定的な矛盾があります。

当事者たちが感じている不満の本質は、
単に「お金を払いたくない」という利己的な話ではありません。

「自分自身の生存で手一杯なのに、
これ以上何を差し出せばいいのか」という、
セーフティネットの網の目からこぼれ落ちていくような
深い孤立感と、制度への違和感なのです。

昨日と同じ仕事なのに?「再雇用時の給料低下」に潜む理不尽さ

「若い頃の負担」をなんとか乗り越え、
長年、会社のために身を粉にして働いてきた。
その先で待っているのが、もうひとつの歪みです。

それが、定年を迎えたベテラン世代を襲う
「再雇用時の給料低下」という壁です。

多くの企業では、60歳の定年を迎えた後も、
希望すればそのまま同じ職場で働ける制度(再雇用)があります。

一見、雇用が守られている安心な制度に見えますが、
現場から聞こえてくるのは深刻な不満の声です。

「定年を迎えた翌月から、給料が半分になった」
「仕事内容も、責任も、求められる成果も何も変わらないのに」

こうしたリアルな理不尽が、あちこちで起きています。

もちろん、ここでも企業や社会のシステム側には
それなりの「理屈」が存在します。

「高齢者の雇用を確保しつつ、
会社としての人件費の総額をコントロールするため。
そして、若い世代のポストや給与を守るためには、
再雇用者の給料体系を下げるのは合理的な判断なのだ」

という言い分です。

しかし、現場で働く人間の生身の視点に立ってみたとき、
この合理性はあまりにも残酷に響きます。

昨日と全く同じデスクに座り、
昨日と同じように自分の持つ高い技術や知識を使い、
時には後輩の指導まで引き受けている。

それなのに、雇用契約の「ラベル」が
正社員から再雇用に変わったというただそれだけの理由で、
自分の労働の対価がガクンと買い叩かれてしまう。

当事者が感じている不満の正体は、
単なる「金銭的な損得」だけではありません。

自分が何十年もかけて積み上げてきた
経験や、会社への貢献、そして『労働の価値』そのものを、
システムの都合ひとつで否定されたような感覚。

つまり、働く人間としての「尊厳や誇り」が
傷つけられていることへの、深い憤りなのです。

独身税と再雇用の不満から見える、現役世代の「ハシゴ外し」の構造

ここまで、2つの異なる不満について見てきました。

20代や30代が直面する、実質的な「独身税」の重圧。
そして、60代の手前で突きつけられる「再雇用時の給料低下」。

人生のまったく違うステージにあるこの2つですが、
並べて観察してみると、
そこには驚くほど共通した「ひとつの構造」が浮かび上がります。

それは、私たちがどれだけ真面目にルールに従って生きても、
常に社会のシステム側から
「ハシゴを外され続けている」という構造です。

若い頃(独身期)は、
「未来の社会を支えるため、高齢者を支えるため」
という名目で、自分の生活を削ってまで重い負担を求められます。

ならば、その負担に耐えて年齢を重ね、
自分が「支える側」の現役を全うしたときには、
手厚く報われるのかといえば、そうではありません。

いざシニア期(再雇用期)に入ると、今度は
「次の現役世代に席を譲るため、人件費を抑えるため」
という名目で、あっさりと労働の対価を削られてしまう。

つまり、どのライフステージに立って、
どれだけ社会や会社に貢献したとしても、
生きている人間が「安心」を手に入れられる場所が
どこにも用意されていないのです。

ここに、現代の現役世代を底冷えさせる
「閉塞感の正体」があります。

この問題の本質は、
「高齢者 vs 若者」という世代間の対立ではありません。
あるいは、「独身 vs 子育て世帯」というライフスタイルの対立でもありません。

本当の問題は、
社会保障や企業の財務といった「システム側の辻褄合わせ」ばかりが最優先され、
そこで必死に生きている「生身の人間のリアリティ」が
完全に置いてけぼりにされていることにあります。

かつて日本社会にあった、
「ルールを守ってがんばって働けば、それに見合った安心が返ってくる」
という、目に見えない社会契約。

その契約が、すでに内側から
音を立てて崩壊しているのではないか。
2つのニュースに対する強い拒絶反応は、
私たちがその不都合な真実に、薄々気づき始めている証拠なのかもしれません。

社会のシステムに振り回されず、個人の違和感を「観察」し続ける意味

ここまで見てきたように、私たちの生活を脅かす歪みは、
特定の誰かの悪意によって作られたものではありません。

少子高齢化という数理的な限界に対して、
古いシステムが「人間を無視した辻褄合わせ」に走った結果、
あちこちできしみが生まれている。
それが現代のリアルな構造です。

こうした現実を前にしたとき、私たちはつい、
「日本はもう終わりだ」という極端な悲観論に浸ったり、
特定の政党や政治家を叩くことで
目先の怒りを消費してしまいがちです。

SNSで誰かを激しく攻撃すれば、
その瞬間だけはスカッとするかもしれません。

しかし、感情論で終わってしまっては、
私たちがシステムの歯車としてすり減らされていく現実は、
明日からも何ひとつ変わりません。

だからこそ、私たちは「ただ怒る」のをやめて、
日々の生活の中で感じる小さな違和感を
冷徹に「観察」し、言葉にし続ける必要があります。

「なぜ、この制度はこんなに苦しいのか」
「政府や企業の言う『合理性』の裏で、誰が痛みを負っているのか」

そうやって構造を自分の頭で紐解くこと。
それこそが、不条理な社会システムに振り回されず、
「個人の軸」を持って生きるための第一歩になるはずです。

誰かが用意した都合のいいルールに、盲目的にハシゴを預けないこと。
そして、自分の労働の価値や、自分の人生の豊かさを、
他人の物差し(数字やラベル)だけで決めつけさせないこと。

国の数字合わせ(マクロ)の犠牲になる前に、
まずは自分の生活(ミクロ)の痛みに目を向け、
「おかしい」と思える感覚を信じる。

このブログ「ゼロニクルの実験室」もまた、
そんな小さな観察と考察を繰り返す、
ひとつの実験場でありたいと思っています。

* * * * * * * * *

給与明細を見た時に、
「俺、今月頑張ったな!」
「仕事を頑張った甲斐があった!今日は焼肉だ!」
と、前向きになれる社会であってほしいものですね。

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