The Life Records Of Zeronicle

一度きりの人生の記録

【短編小説】消えた灯

消えた灯

序章

六本木ヒルズの展望台から東京が見渡す。天気は良好だが、大きな入道雲が太陽を隠していた。
男はスマホを取り出すと、アドレス帳を開いて登録されている友人の連絡先をひとつ、またひとつと削除していった。
「さよならだ。」
男はそう呟くと六本木ヒルズの展望台を後にして、ゆっくりと歩き始めた。


まだまだ残暑が厳しい夏の夕方。湖畑は冷房の効いた自室にこもっていた。外からはヒグラシの鳴き声が聞こえる。チチチチ…という鳴き声は、これから夕方から夜になっていくということを知らせてくれるようだ。ふと湖畑が時計を見ると午後5時を回っていた。夏の日は長い。外部の情報を遮断したかのような部屋の中にずっといるものだから、時間の間隔が少しおかしく感じる。時間の経過が判断できるのは外から差し込む太陽の光しかない。そんな中で湖畑はパソコンを組み立てていた。今まで使っていたノートパソコンは仕事をするには十分な性能を持っていたが、最近発表された宇宙を開拓するシミュレーションゲームをプレイするために、高性能なパソコンを組み立てているのだ。このゲームは2025年の3月に発売予定となっており、大規模な宇宙都市の開発および宇宙都市間の戦争が特徴だ。世界情勢が不安定なので、パソコンパーツの価格は今後変動する可能性が高いと思い、今のうちにと必要となるパーツをすべて揃えたのは我ながらファインプレーだと湖畑は思った。
「よし、できた…。」
パソコンを組み立て終わった湖畑は一息ついた。もう一度時計を見る。時計は5:17と表示されていた。湖畑は組み立てたパソコンをパソコンデスクの下に置き、LANケーブルやUSBケーブル、電源コードを取り付けた。モニタのDisplay Portのケーブルを繋ぐのを忘れていたことに気付いて、慌ててDisplay Portに差し込んだ。パソコンが問題なく起動することを確認して初期設定を手短に済ませた。
「これでOK…っと。なんだか腹が減ったな。外いくか。」
パソコンの電源を消し、無造作に置いてあった家のカギと財布を手に取ると、ショルダーバッグに放り込んだ。湖畑は都内のワンルームマンションを借りて1人暮らしをしていた。都内に住むことは彼の中での優先事項となっていたものだった。なぜならクライアントの打ち合わせをするにも、遊ぶにも都合がよかったからだ。少し歩けば色々なものがある。打ち合わせ場所にも困らない。ワンパターンにならずに済む。地方に住んでいたら打ち合わせするにも遊ぶにも移動時間に数十分はかかることが多いだろう。
「なぜ移動に貴重な時間を使わなければいけないのか。」
湖畑にはそれが我慢できなかった。
「都内よりも少し離れたところがいいのに。」
そういってくる友人や家族にはうんざりしていた。そのようなことを言われるたびに、湖畑は口には出さぬものの「価値観を押し付けないでくれ」「放っておいてくれ」と思ったものだ。湖畑はやや頑固なところがある。そういった意見を押しのけて、半ば強引に上京したものだから家族との折り合いがいいとは言えない。しかし、湖畑は自分が理想とする生活を手に入れることができたので満足していた。湖畑は近所の居酒屋に入った。暖簾の隙間から店の中をみたら、席はまだ空いているように見えたからだ。「焼鳥屋 すけっち」。この店には社会人なり立ての頃から通っている。初めて通ったときに店の名前の由来が何なのか気になりすぎて、店主に聞いたことがある。
「子供の時に"エッチスケッチワンタッチ"っていう言葉遊びみたいなものがあったんだけどね?この店の名前を考えてるとき、ふいにその語呂が頭に浮かんじゃって。それでつけたのよ。エッチは論外。ワンタッチは何かセクハラ?みたいなイメージがあると思ったから、間を取ってすけっちにしたんだよ。」
店主はそういって豪快に笑った。声がでかいし、「焼鳥関係ないんかい。」と心の中でツッコミを入れたことは今でも覚えている。だがそこから店主と仲が良くなり、ちょくちょく通うようになった。小さい店ではあったが味は確か。ここの料理は湖畑の胃袋をがっしりと掴んでいた。店は店主の他にアルバイト2~3人というのが基本的な体制だった。
「おう、コバちゃん。いらっしゃい。1人かい?好きなとこに座ってよ。」
店主が湖畑に気が付くと、焼鳥を焼きながらそう声をかけた。席が空いているとはいえ居酒屋らしく周りが騒がしい。そんな中でも店主の声が大きいので良く通る。普段話しているときは「声がでかいんだよ」と心の中で悪態をつくこともあるが、声が通るということに関しては評価できる。今日はアルバイトのスタッフは2人のようだ。湖畑は空いているカウンター席に座ってメニュー表を開いた。夜になったとはいえまだまだ暑い。キンキンに冷えたビールと枝豆、ナスのお新香、焼鳥は10串の盛り合わせを頼んだ。アルバイトの女の子がお通しとおしぼりを持ってきてくれた。名札には「タカハシ」と書いてあった。初めて見る顔だ。最近入った子だろうか。どことなくぎこちない動きが印象的だった。湖畑は軽く礼を言って、おしぼりで手を拭き、お通しを一口食べた。
「うまい。」
思わず口に出てしまった。その声が聞こえたのか、店主がにっこり笑ってる。
「今日はコバちゃん早いね。仕事休みだったの?」
時計を見るとまだ午後6時前だ。確かに早い。
「いや、仕事は3時くらいまでやってたかな?そのあとパソコンを組み立ててたんだよ。来年の頭にゲームが出るんだけど、ちょっといいパソコンにしなくちゃできなくて。」
「へぇ、難しいことはよくわかんねぇけど、ゲームをやるためのパソコン組み立ててたのか。」
「そういうこと。」
世間話に花を咲かせていると、他の客が店主に声をかけた。
「マスター!すんません、ビールちょうだい!」
「はいよー!」
そのやり取りを聞きながら、ぼんやりと店主の背中を見つめる。アルバイトのスタッフも忙しそうにあちこち歩き回っているが、マスターも忙しそうだ。そんなことを思いつつ、お通しを口に入れる。これが美味しすぎて箸が止まらない。で、ビールが飲みたくて仕方なくなった頃にタカハシが颯爽とビールと枝豆を運んできてくれた。待ちに待ったビールが来た。ジョッキは冷凍庫でキンキンに冷やされていたようで、霜で真っ白。そこに黄金色に輝くビールが注がれている。湖畑はこれを見た瞬間、心の中で小さな勝利を感じながら、一気にビールをぐいっと飲んだ。冷たいビールが喉元を通り過ぎ、幸せを感じていたその時だった。
「ゲェップ。」
思わず出た豪快なゲップが腹の底から響いた。店主はガハハとこれまた豪快に笑っていたが、タカハシは少し引いているような表情に見えた。
「あぁ、やっちまったな」と心ばかりの反省をして、続けて枝豆の皮を剥いて口に放り込んだ。ビールと枝豆は鉄板だ。間違いなくうまい。そこに追い打ちをかけるかのように、タカハシがナスのお新香と焼鳥の盛り合わせを持ってきてくれた。
「ありがとう。」
湖畑はタカハシに礼を言うと、何かのスイッチが入ったかのようにビール、枝豆、お新香、焼鳥、ビール…と次々と口に運んでいた。
「コバちゃん、すげぇな。どうしたのよ。そんなに腹が減ってたのかぃ?いつもはそんなにガツガツ飲み食いしないでしょ。」
「んん…昼食べてなくてね。そんでもってうまいからさぁ。」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。」
注文したものをすべて食べ終えた湖畑はショルダーバッグの中にある財布を取り出した。
「ん?コバちゃんもう帰るの?」
「一気にビール飲んだら酔いが回っちゃって。おなかも膨れたし今日は帰るよ。また来るから。」
「そうかぃ。」
レジにいるタカハシにお金を払うと、ご馳走様といって店を出た。後ろからタカハシの「ありがとうございました。」という声がほのかに聞こえた。夜になって涼しくなったとはいえ、ジメジメとした空気が体にまとわりつく。現実に引き戻されたかのようだ。空を見るとどんよりとした雲が見える。明日は雨が降るのだろうか。家の冷蔵庫の中はほぼほぼ空だった気がする。もし明日が雨ならば、また外に出るのはおっくうになるのでスーパーに行って買い物をしてから帰ることにした。スーパーに行くと見覚えがある女性がいた。マナだ。マナは良くいく夜のお店のスタッフだ。湖畑のイチオシ。軽く挨拶しようかと思ったが、プライベートの邪魔はしたくないと思い立ち素通りした。マナは湖畑に気が付いていないようだった。
レタスときゅうり、ブロッコリー、ニンジン、玉ねぎ、豚肉、鶏肉、カップ麺…と無造作に買い物かごに放り込んだ。
「酒も買うか。」
安いワインとウイスキー、炭酸水を入れてレジに持っていく。ワインは赤。肉と一緒に飲むのが最近のマイブームだ。袋をつけてもらい、買ったものを詰め込む。結構な重さだ。店を出る前に軽く店内を見渡したが、マナの姿は確認できなかった。どうやら先に帰ったのだろう。それか何かの物陰に隠れていたかもしれない。なんせマナは背が小さいのだから。そんなことを考えながらスーパーを出ると、マナがこちらを見ていた。
「湖畑さん、素通りするなんてひどくないですかー。声をかけてくれてもいいのに!」
あっけにとられる湖畑を尻目にマナが続ける。
「別にいいですけどね。それにしても湖畑さん、凄い荷物ですね。私はこれからキムチ鍋にするんです。じゃ、私はこれで。」
マナは言いたいことを言ったあと、誰かが運転する車に乗り込んでさっさと帰ってしまった。このクソ暑い日にキムチ鍋…。ツッコミを入れる隙すら与えてくれない彼女は、まるで台風のようだと湖畑は思った。そうしているうちに空からポツポツと雨が降ってきた。本降りにならないうちに帰ろうと、湖畑は小走りで家に帰った。マンションのエレベータのスイッチを押す。マンションは8階建て。湖畑の家はマンションの3階にある。階段で行くことの方が多いが、今は荷物が多い。そんな状態で歩くのは御免だった。エレベータは最上階である8階にあった。エレベータが降りてくるまでに時間がかかる。湖畑はショルダーバックからスマホを取り出して画面を見た。するとそのスマホに不在着信の通知が来ていた。
「電話?クライアントか?全然気づかなかったな。」
不在着信の詳細を確認すると、そこには「高藤」と表示されていた。
「高藤…?」
高藤は大学時代の友人だった男だ。まるで時が止まったかのようにその場で経っていると、スマホが震えた。高藤からのメールだった。
「今度飲みに行こう。都合のいい日を教えてほしい。」
チーンという音がマンションの狭いエントランスに響き、エレベータのドアが開いた。湖畑はスマホをそのままショルダーバックにしまってエレベータに乗り込んだ。外は本格的に雨が降り出したようだ。激しい雨が地面やガラスをたたく音が聞こえる。まるで地球が泣いているかのような錯覚を覚えた。


湖畑は部屋の電気を消し、ベッドの上に寝転がった。そして天井を見つめながら高藤と最後にあった日のことを思い出していた。湖畑が高藤に最後にあったのは大学を卒業してから3年くらい経った頃だった。一般的には新人から経験を積み、中堅として活躍するくらいの頃だ。湖畑も例に漏れず中堅として社会の歯車として働いていたが、そのときに教育していた新人の物覚えが悪く、仕事の量が増える一方でとても忙しかった時機だ。そんな忙しい時期に高藤から電話があった。
「そのときも急だったな。」
そう暗い部屋の中でつぶやいた。電話の内容も今回と同じようなものだった。
「少し話そう。」
高藤から言葉少なめに飲みに誘われたのだ。なんやかんやあって、湖畑と高藤は新宿駅で約3年ぶりに顔を合わせた。季節は秋。うだるような暑さが無くなり、一気に涼しくなった頃だった。久しぶりに会った高藤は、学生時代の頃とはまるで別人だった。頭は禿げ上がり、顔も体もやせ細り、本当にこの世の人間だろうかと思うほどだ。そして目の奥に光が宿っておらず、どこか辛気臭い雰囲気をまとっているように見えた。
「最初高藤だってわからなかったもんな…。信じられなかった。学生の頃はもっと…。」
雨はいつの間にか止んだのだろうか。外が静かだ。湖畑はそっと目を閉じて、学生時代を思い返していた。

2001年の春。湖畑は高校を卒業し、地元の大学に進学した。都内の学校に進学という選択肢もあるにはあったが、その頃の湖畑には金がなかった。都内で生活するには何かと金が要る。学生のうちは実家から通いながら金をためて、卒業後に都内で暮らすというのが湖畑の計画だった。通学のために満員電車に乗りたくないというのも上京したくない理由の一つでもあった。大学生活の初日。簡単なオリエンテーションが開かれた。教授の紹介。大学のシステムについて簡単な説明などが行われた。湖畑にとってそれは退屈な時間だった。あくびをかみ殺して変な顔になっているとき、後ろから肩を軽く2回叩かれた。何だと思い振り返る。
「あ、やっぱり。湖畑くんだよね。」
(誰だっけ…。相手は俺を知っているが…。)
湖畑は眠っていた脳みそをフル回転させた。思い出した。大学のグループ面接で隣にいた奴だ。
「おぉ、浅金くん。」
湖畑がそう言うと、浅金はにっこりと笑った。
「覚えていてくれたなんて嬉しいな。この後暇?もしよかったらオリエンテーションが終わったら飯でもどう。」
「予定はないよ。行こう。」
オリエンテーションが終了すると、多くの学生がごった返しになった。湖畑と浅金は動かない。どうせこのあとやることもない。慌てて行動することもないという判断の上だった。すると、浅金に近づく男の影があった。
「ここにいたのか、浅金。ん?そっちは面接のときにあったような…。」
湖畑にも見覚えがあった。面接のとき、浅金と一緒に話していた奴だ。
「湖畑です。たしか君は前川くん…だったかな。」
「おぉ、そうだそうだ。湖畑君だった。俺のことよく覚えていてくれたね。そう、俺前川。」
面接の時から半年ぶりの再会だった。そのときは気にする余裕もなかったが、前川は少し騒がしい奴だと湖畑は思った。浅金は面接の時と雰囲気はあまりかわらない。どこかマイペースなところが見て取れる。
「浅金さ、この後どうすんの?かえんの?」
「いや、湖畑くんと飯にしようかと。」
「お、それいいね。俺も入れてよ。」
「うぃー。」
前川はぐいぐいくる。押しの強い男だ。湖畑はこういう男があまり得意ではない。湖畑は自分のペースを乱されるのが嫌いなタイプだ。予定外のことが起きても柔軟に対応できるが、そういうことが立て続けに起こると疲れ果ててしまう。今後もこういう感じだと厄介だと感じた湖畑は、少しけん制してみることにした。
「前川君、ぐいぐい来るねぇ。」
少し嫌味のニュアンスを持たせて、前川に話しかける。
「そうかな?あっはっは。」
前川は動じない。「あ、これはダメな奴だ。」と湖畑は諦めた。3人は大学の食堂に向かった。その途中、ゴルフバッグをもって食堂に向かう男がいた。
「あれは…。」
浅金がそう呟き「おぉい!」と呼びかけた。浅金の大声に反応して男が振り向く。その男は浅黒い顔色で、目は垂れ下がり、悪人顔に見える。何かしらの犯罪に手を染めていても不思議でないと感じさせるほどだ。浅金に呼ばれたその男は、ゆっくりとした足取りでこちらに向かいながら、口元に笑みを浮かべた。しかし、その笑顔はむしろ不気味さを際立たせ、湖畑は内心背筋が凍る思いをしていた。
「浅金くん。」
男は浅金に向かってそう言い、前川の方に顔を向けた。
「前川君も。そうか2人ともこの学校に来たのか。」
浅金と前川が頷くと、2人は湖畑の方に視線を移した。
「彼は面接のあとに知り合ったんだ。彼が落としたものを見つけて渡したのが俺たちでね。紹介するよ。高藤くんだ。高藤くん、こちらは湖畑君。」
「高藤です。よろしく。」
「俺は湖畑。よろしく。」
簡単に自己紹介を済ませると、高藤の口角がさらに上がった気がした。その不気味な笑みと顔つきが、高藤を益々高藤を不気味に際立たせた。これが高藤との出会いだった。
高藤はゴルフ部の部室に行って入部届を出すと言っていた。湖畑たちは学生食堂に向かうので、湖畑たちと高藤はここで別れた。
「高藤くん。なんていうか怖い顔してんね。」
インパクトが強く残った高藤の顔。特に目が湖畑の脳裏に焼き付いていた。
「色黒で垂れ目だからなぁ。しゃーない。」
前川は軽く流した。浅金は特に何も言わなかった。その後短い沈黙が流れるも、歩く足は止まらない。やがて食堂についた。昼時であったため、食堂は混んでいた。それでも席か空いているのが確認できた。
「俺が荷物おいて場所取っておくから。2人は先に食券買ってていいよ。」
浅金は気が利く男だった。言葉に甘えて湖畑と前川は食券を買うために券売機の前に並んだ。定食が安かったので2人ともそれにした。この日の定食は野菜炒めだった。
定食をもって席に戻ると、浅金が海鮮丼をもって座っていた。
「浅金、海鮮丼かよ。」
「魚が食べたかったもんで。」
海鮮丼の値段は定食の2.5倍。一般的な店で食べるよりは安い値段だが、貧乏学生にとってはそこそこ高い値段だった。
「んん。うまい。」
浅金は海鮮丼のマグロ一切れを食べた。とても幸せそうな顔をしている。湖畑と前川も定食のおかずに手を付けた。無難な味である。コスパはいいかもしれないと湖畑は思った。3人はこんな感じで昼食を食べながら、それぞれの趣味なんかを話しながら親交を深めていった。湖畑はパソコンでゲームをやっていることと、友人から頼まれているパソコン修理の真似事で小遣い稼ぎをしていることとを話した。浅金はパソコンでゲーム作成をしていることを話した。前川はパソコンで絵をかき、ネットに投稿していることを話した。みんなそれぞれ違う趣味だが、パソコンを使用していることが共通していたので、パソコンの話で盛り上がった。湖畑はパソコンを自作するのが趣味でもあったので、前川と浅金から「自分のも作ってほしい。」と申し出があった。
「手間賃取るよ。」
湖畑がニヤリと微笑むと、浅金と前川は困惑してしまった。

大学生活を送っていくうちに、知り合いの知り合い、その知り合いというように、知り合う人が増えてきた。気が合うなら自然と一緒に行動するようになるし、気が合わなければ自然と離れるといった感じに。その流れの中で大学内で一緒に行動する人間がある程度決まっていった。そんな流れで湖畑は浅金、前川、小山、そして高藤と一緒に行動することが多くなっていた。小山は頭の回転が速く、漫画が好きな奴だった。休み時間中、漫画の話をしているときにひょこっと出てきたのが小山だ。好きな漫画のジャンルが一緒で、その話をしていたところ盛り上がって仲良くなった。高藤は一緒の授業が多かった。何度か顔を合わせるうちに近くの席に座るようになり、やがて世間話をする中にまでなっていた。高藤の趣味はゴルフで、ゴルフボールを遠くに飛ばすのが気持ちよいとのことだった。休日になると自室にこもってセクシーなビデオを見るのが日課だと言っていた。
「好きなジャンルは…。」
と言いかけたところで、「どうでもいいから!」と湖畑は口をふさいだ。ふさいだ手を払いのけた後、高藤はぼそりと呟いた。
「ナース物がいいんだよな。」
高藤が湖畑や浅金が唖然としているところを確認すると、声を出して笑った。

あるとき、学校の授業が終わると、高藤が小山と湖畑に話しかけてきた。
「このあと暇?」
小山と湖畑が「暇だ」というと、高藤はゴルフ部に遊びに来ないかと誘ってきた。二人ともゴルフに興味はなかったが、特にやることもなかったので高藤についていくことにした。高藤の後ろを歩く湖畑と小山。ゴルフの練習場につくと、高藤はゴルフ部の先輩であろう男に挨拶した。
「お疲れっスー。今日は友達をつれてきましたよ。」
ゴルフ部の先輩が湖畑と小山に向かって歩いてきた。
「おー、いらっしゃーい。」
ゴルフ部の先輩は色黒だった。松崎しげる級だ。名前を聞くと名前も松崎だった。思わず湖畑は笑ってしまった。
「せっかくだ。何発か打っていいよ。」
小山は言葉に甘えて一発撃とうとしたが、思いっきり空振りしていた。気を取り直してもう一度クラブを振ったところ、ボールに当たりはしたが、ボールはほぼ真横に飛んでいた。湖畑はゴルフ初心者ではあるが、なぜ真横に飛んだのか理解できないでいた。
「あー、全然当たらん。難しいな。ゴルフって。」
高藤と松崎は笑っていた。
「そこの君もやんなよ。見てるだけじゃつまらないでしょ。」
松崎は湖畑にゴルフクラブを振ってみなよと誘っているが、湖畑はやるつもりがなかった。
「いや、あまりゴルフに興味ないんですよ。」
「クラブはこれがいいかな。緊張する必要全くないからやってみない?」
人の話を聞いてくれ…と肩を落とす湖畑だったが、何度も「やらない」と言っているうちに松崎もあきらめたようだった。
「やればいいのによー。」
松崎は残念そうにそういうと、自分の練習のためかどこかに行ってしまった。湖畑が時計を見ると時間は午後7時になっていた。
「げっ。もうこんな時間なのか。そろそろ帰るわ。」
「俺もそろそろ帰る。またなー。」
湖畑と小山は二人そろって高藤に声をかけた。高藤は腕を上げて振った。
「わかった。また今度。」

大学の夏休みは長い。8月から9月の終わりまでのほぼ2ヶ月まるまる休みになる。湖畑は友人からパソコンの修理を頼まれていた。安いパーツを買って高い修理代を取り、その差分を懐に入れるというのが常套手段だった。しかし、安いパーツが見つからないときもある。ちょうどそれがこの時期だった。
「くそー。安いパーツが見つからない。下手すると赤字かなぁ。」
そんなことを思っていると、携帯が鳴り響いた。画面を見ると高藤からの着信だった。
「もしもし?」
高藤の電話に出ると、それは遊びに出かけないかという誘いだった。車を出すから浅金の家に遊びに行こうというものだ。浅金の許可は下りており、あとはメンバーを確定するだけとのこと。今のところ車に同乗するのは小山だけとのこと。湖畑は少し考えたが、結局遊びに行くことにした。
「そういえば前川は?来ないのかな?」
「あぁ、あいつね最近学校に来てないじゃん?連絡つかないんだよ。」
前川はゴールデンウィーク明けくらいから学校に来なくなった。一番仲が良かった浅金が一度だけ前川に電話をしたことがある。そのときの会話によると、前川はパソコンで絵を描くことにのめり込んでしまい、学校に行きたくなくなったらしい。趣味を持つのは結構だが、ここまでのめり込むのは怖いなと湖畑は思った。まだ学校はやめてないはずだ。
「そうか。」
そう力なくつぶやいて電話を切った。夏休みの後半、9月の頭に浅金の家に遊びに行くことになった。

遊ぶ日の当日。待ち合わせ場所に行くと小山が経っていた。高藤はまだ来ていないらしい。
「お疲れ。」
小山が湖畑に気付き、声をかけてきた。湖畑も軽く挨拶を返した。
「浅金のうちってどんなところなんだろな。」
小山がボソッと呟いた。小山はこのあたりの人間ではないので土地勘が無いのだろう。
「地域的には田舎だね。何もないんじゃないかな…。」
湖畑がそう答える。「そうなると山とか川に行くことになるかなぁ。」なんてことを小山は呟いていた。しばらくすると黒いデミオが湖畑と小山の前に止まった。中から顔を出したのは高藤だった。
「悪い。遅くなった。お待たせ。」
高藤が載ってきた車はいくらか汚れていたが、中はキレイだった。話を聞くと親の車を借りてきたらしい。まる2日も借りて大丈夫なのかと聞くと、
「親はあまり車使わないんだよねー。だから大丈夫。」
とのことだった。
道中はラジオを流しながら、世間話をしていた。金がもったいないので高速は使わないということで意見は一致。浅金の家までは実に2時間近くかかった。道の途中で一気に山になったのが印象的だった。
「やっとついたー。」
体感的には2時間以上かかっているように思えた。おそらく山に入ってからの単調な景色がそう感じさせたのだろう。
「いらっしゃい。」
浅金が玄関から出てきて湖畑たちを迎え入れた。
「高藤も運転お疲れ。どうぞどうぞ。」
浅金が部屋に入るように誘導すると、ジュースを持ってきて紙コップに注いだ。注がれたコップを手に取り、高藤と湖畑、小山は一気にジュースを飲みほした。
「カーッッ!生き返る!」
「超!力水!」
「誰がわかんだよ。」
「俺らならわかるっしょ。」
そんなくだらないことを話していると、浅金の携帯が鳴った。
「もしもーし。」
そういうと浅金は携帯のスピーカーをONにした。
「うぃーっす。」
声の主は前川だった。

「前川さんさ、今うちに高藤と湖畑と小山がきてるんよ。前川さんもどう?」
浅金がそう問うと、前川は「うーん…。」と唸った。
「絵を描くのが忙しすぎてちょっと無理。」
前川がそう言い切ると、続けて
「学校もやめることにした。じゃ。」
と言って、電話がプチっと切れた。あまりのあっけなさに浅金は茫然としていた。
「なんかすげぇな前川…。」
小山がそう呟くのがやっとだった。
その日の夜。近くの川で女の声が聞こえるだの噂になっているところがあるというので行ってみることになった。家から近いとはいえ、車で20分くらいかかるところらしい。
「えぇ、俺運転すんの?」
高藤は明らかに嫌がっていたが、周りに押し切られる形でしぶしぶ運転することになった。20分ほど運転したところで目的地の川についた。川の周りに灯りは殆ど無い。うっすらとした星の光だけが頼りだ。周りの喧騒もなく、まるで違う世界に来たようにも思える。
「めっちゃ静かだな。」
高藤がそう呟いたときだった。「ジャリッッ」とした音が高藤の突然聞こえた。
「ひぃっっ!!?なに!?!?」
驚いた高藤が携帯のライトを後ろに当てると、そこには小山が転んでいた。
「いってぇ。砂利に足を取られちゃって。すまんすまん。」
「は、はったおすぞ!」
高藤は少し涙ぐんでいたのだが、周りが暗いこともあって誰にも気づかれなかった。しかしながら声の調子でビビっていることはみんなにバレていた。
「なんだよ。高藤怖いのかよ。」
湖畑はそういう風に高藤を煽った。高藤は口数が少なくなっていた。むすっとしているのかもしれない。
「何も聞こえないな。」
川には30分くらいいたのだが、一向に何も起きないし聞こえないので、このまま帰ることにした。
「じゃ、車の方に戻ろう。」
高藤は内心ほっとして車に向かい、そのまま家に帰った。家に帰る道中も、帰った後も、特に何も起きなかった。家に帰って落ち着いたところで、「高藤がビビってたよな」という話をしていた。高藤は面白くなさそうにむすっとした表情をして、浅金たちのことをにらんでいた。残った時間はひたすらゲームをしていた。こうしてあっと言う間時間は流れ、帰る時間になった。
浅金にお礼をいうと、高藤は小山と湖畑を載せて帰って行った。

大学3年のときは少し慌ただしかった。浅金が趣味のゲーム作成に時間を費やしすぎて単位が足りないことが判明したのだ。「やっちまった」と力なく答えていたのがとても印象的だった。学校で顔を合わせることはあっても一緒に卒業することができない。そして親にも呆れられてしまったらしく、家から追い出され、生活費と学費は自分で稼ぐようにと言われてしまったそうだ。浅金は大学から近いアパートを借りた。そのアパートは家賃が凄まじく安いだけあって、今にも崩れそうな年季の入ったアパートだった。しかしながら、外見からは想像できないほど家の中はキレイだった。だがそれも初めて行ったときだけ。次第に部屋の中はゴミ屋敷となり、足の踏み場もないくらい酷い有様になっていた。そして高藤と小山、湖畑は所属する研究室を決める時期に突入していた。成績がよかった小山と湖畑は第一希望の研究室に入れたのだが、高藤は第二希望の研究室所属となった。このあたりから顔を合わせる頻度が低くなっていった。それでもパソコンのチャットで情報交換はほぼ毎日のように行っていた。

あっと言う間に時が過ぎ4年生になった。浅金は単位をまたしても落としてしまい、来年の卒業も怪しくなっていた。小山は4年に上がる前に就職先を決めていた。企業の推薦枠のようなものがあって、その枠にうまく入り込めたとのことだった。小山は「あとは卒業研究に集中するだけだ。」と言っていた。湖畑も単位は十分だったが、就職活動と卒業研究に苦労していた。みんながそれぞれ前を向いて進んでいる中、高藤は就職活動が思うように進んでいなかった。また、3年時に単位を落としたのが響いたのか、4年になっても単位を取るために授業に出なければなら無いという状況。自業自得とはいえ、大変だなという感じで高藤を見ていた。

各自が卒業研究に没頭する日が続き、あっという間に卒業の日を迎えることになった。卒研発表の後、高藤、湖畑、小山が久しぶりに顔を合わせて話していると、浅金もやってきた。
「卒業おめでとう。俺はあと1年頑張る。」
そういって軽く話した後、浅金はバイトだといってそそくさと帰って行った。進路の話をすると、湖畑は無事に内定を取得し、何の因果か小山と同じ会社となった。高藤も何とか内定を取り。詳しい話は聞いていないが、どうやら医療系の職種らしい。
そして卒業。各自大学を去って行った。4月からはみんな別々の道を行くことになるのだ。

社会人になると仕事が忙しく、なかなか自由な時間が取れなくなっていた。学生時代の友人である高藤や浅金とも連絡を取らず疎遠になっていた。小山とは同じ会社だったので連絡を取っていたが、所属している部署が違うのと単純にお互いが忙しいこともあって徐々に連絡する頻度が低くなっていた。毎日3時間の残業は当たり前。仕事は忙しいが金を使う時間もないので、金は自然とたまっていった。社会人1年目が終わるころ、十分な金が貯まったので、都内にアパートを借りることにした。ワンルームのマンション。少し部屋は狭いが、1人なら十分な広さだった。家賃も都内にしては安い方であった。湖畑は満足していた。会社の通勤時間も短縮できたので、通勤で生じるストレスが大幅に軽減された。そんな風にして仕事をしながらスキルを高め社会人3年目に入った。湖畑は中堅として新人の教育を任された。新人の名前は小川といった。自己紹介ではハキハキと答えていたので、そのときの上司たちからの評価は高かった。しかしながら、小川のメッキがはがれる前に時間はかからなかった。指示の内容を変な風に解釈して作業をしてしまうことにはじまり、その責任を湖畑に擦り付けることは日常茶飯事。反省の色がないので何度も繰り返してしまっていた。そして2009年の夏。ついに事件が起きる。小山が誤った手順で作業をした結果、顧客が運用しているサーバのデータがすべて消えてしまったのだ。バックアップが残っていたので、時間はかかったが復旧はできた。しかしながら、その後の小川の態度が顧客の逆鱗に触れたのだ。その結果、顧客との契約が打ち切られてしまった。湖畑は顧客から教育はどうなっているのかと叱咤され、契約を打ち切られたことに腹を立てた上司が湖畑に罵声を浴びせた。湖畑は上司に相談をしていたのだが、特に対策も打ってくれず、不信感を募らせていた。小川はこの事件を受けて退職することに決めた。湖畑もまた、上司と組織に対する不信感を募らせた結果、フリーランスで働くことを決め、会社を退職することにした。
「俺、退職したわ。」
退職を決めた日に、湖畑は小山に電話をかけた。大学で知り合ってからの付き合いだったし、伝えておかないのも冷徹な感じが指摘が引ける。ここは伝えておいた方がいいだろうと判断したからだ。電話をかけると呼び出し音が5回なったところで小山が出た。小山は私の退職するということに関して特に驚かなかったようだ。小山の口調から驚きの感情は無いように聞こえた。
「そうなのかー。寂しくなるな。やめてどうすんの?転職活動?」
小山はこれからどうするのかと聞いてきた。やめてからどういう生活を送るのか興味があるようだ。気のせいかもしれないが、何処か楽しそうな口調だ。
フリーランスでWEB政策をやるよ。幸いにも知人の伝手でクライアントを紹介してもらえたから。」
「動きが速いな。落ち着いたら飲みにでも行こう。」
「そうね。それじゃ。」
電話が終わると大きなため息をひとつついた。大したことを話したわけでもないし、相手も友人ではあったが、電話というのが好きではない。そのため電話で話すだけでエネルギーを消費してしまうのだ。大きく背伸びをしてからベッドに腰掛けると携帯が鳴った。
「小山かな?」
そう思いながら携帯の画面を見るとそこには高藤の名前が出ていた。電話を取って携帯を耳に近づける。
「もしもし?」
少しの間があった後、高藤の声が聞こえた。
「少し話そう。」
久しぶりに聞いた高藤の声は抑揚が無く、とても機械的だった。そしてとても低く重みのある声で、暗い雰囲気を醸し出していた。まるで闇に飲み込まれた青年のように。それにしても挨拶も何もないのか。要件もよくわからない。何を話そうというのか?湖畑の頭の中には懐かしさよりも戸惑いや困惑の感情が湧き出てきた。これから新しい生活をするというのに、よくわからない電話をかけてきた高藤に、湖畑は次第にイラつきを募らせていった。
「悪い。今忙しいんだ。要件なら後で聞くから。」
そう捲し立てて湖畑は電話を切った。少し時間が経って冷静になってから少し言い過ぎたかなと思ったが、この日電話が鳴ることはなかった。フリーランスとして働くにあたり、税務署に行って開業届や青色申告の申請などする必要があった。下調べをしていたので、どんなことをやればいいかはわかっていたが、思ったよりも時間がかかったというのが正直なところだった。そして知人に連絡を取り、クライアントとの話し合いの場を設けるよう依頼した。一通りのことをやり終わった後、疲れがたまっていた湖畑は、家から少し離れた歓楽街に向かった。そこでは呼び込みが卑猥な言葉を投げかけてくる。湖畑はきょろきょろと周りを見渡しながら歓楽街を歩いた。そこで一つの看板に目が止まった。某キャラクターの名前を一文字変えただけの店名。こんな店の名前有りなのかよ。と苦笑いにも似た笑みを浮かべた。料金もそれほど高くなく、これならと店の中に入った。
「かわいい子ばかりだな。加工ありだろうけど…。」
湖畑は真剣に相手を選ぼうとしていた。彼は身長がそれほど高くなく、自分よりも背が低い女性と関係を持つことが理想だった。そこで一人の女性に目が止まった。身長が140cm。自分の理想にドンピシャだった。湖畑はこの女性を指名した。それがマナとの初めての出会いである。60分という時間が過ぎた後、湖畑はスッキリとした顔で店を出た。この一件から、湖畑は週に2回くらいの頻度でこの店に通うことになった。会社に勤めていたころは自分の時間が持てていなかったが、フリーランスになってからは自分の時間を好きなように使えるようになっていた。もとよりゲームは好きだったが、会社勤務のころはろくにゲームをやる時間も取れなかった。今では仕事を終えた後、国を作るゲームをすることが日課となっている。湖畑はマナに仕事の話やゲームの話をすることが好きになっていた。たまにマナからトンチンカンな回答が返ってくることもあったが、それはそれで楽しかった。マナは湖畑のことはただの客として見ていたが、面白い話をする人ということで良客の一人として見ていた。
満足のいく対応を受けた湖畑は、上機嫌で鼻歌を口ずさみながら帰宅した。いつもは静まり返った部屋が、その日は不思議と明るく見えた。平凡な一日であっても、心を満たす出来事があると見慣れた風景や場所がまるで新鮮で華やかなものに映るのだと、湖畑は改めて気づいた。ここ数年は味わえなかった発見だった。
そんなある日のことだった。湖畑が仕事を終え、レタスをちぎってサラダを作っていた。湖畑は社会人になってから不摂生な食生活を送っていたのだが、フリーランスを機に料理をするようになっていた。簡単なものではあるが料理をするのは好きだった。レタスをちぎってサラダボウルに入れる。そして豆腐と混ぜ合わせた後、オリーブオイルや黒コショウをかけるというのが湖畑がよく作るサラダだった。一通りサラダを作り終えたとき、携帯が鳴った。画面を見てみると相手は浅金だった。
「もしもし?」
「もしもし。久しぶり!元気?」
大学を卒業してからずいぶんたつが、その時間を感じさせない浅金の声に湖畑はほっとした。
「あぁ、元気だよ。少し前まで忙しかったけれどね。浅金は今何してるんだ?」
浅金は留年していたはず。無事に卒業できたのだろうか。
「みんなが卒業してからだいぶたつよなぁ。俺、ゲームプログラムに熱中しすぎちゃって、結局卒業したの2009年なんだよね。今もちょこちょこゲーム作りながら、スーパーで働いているよ。」
「大学卒業してたのか。よかったよかった。」
「さすがにしてなかったらやばいでしょうよ。それはそうと、最近高藤と話した?」
なんとなく、自分の周りの時間が一瞬止まったような気がした。
「あ、そういえば前に電話着てたな。忙しかったからすぐ切ったけど。」
「そうなのか。あいつさ、毎日のように電話してきてた時期があったんだよ。最初こそ話してたけど、毎日毎日同じような話されてさ。」
「お、おう。大変だったな。」
「俺だってさ。忙しい日もあるのよ。そんなときに中身が無い薄っぺらな話されたら妙に苛立っちゃって。」
(少し前の俺だな…。)
「もうかけてくんな!って強く言っちゃったんだよね。」
少しの間沈黙が流れた。高藤は浅金に強く言われたから俺に電話をかけてきたのだろうか。湖畑はそう考えた。
「そんなことがね。俺でもそうしてたと思うよ。俺もちょっと高藤に連絡してみるよ。」
「あ、あぁ。でもアイツなんか変な感じがしたから気をつけろよ。うまくいえないんだけど。」
「わかった。じゃ、そろそろ切るわ。」
「あ。悪いな。時間とらせちゃって。」
「大丈夫。機会が合ったら飲みに行こう。」
そういって浅金との電話を切った。
「高藤には飯を食ったら電話しよう。」
湖畑はサラダを完成させ、豚肉を焼いた。サラダと豚肉のソテー、白米をテーブルに置いて夕飯を食べた。
夕飯はシンプルながら出来は悪くない。自分好みの味付けだし十分だ。野菜の旨味、肉の甘み。我ながらいいものを作ったと湖畑は思った。夕食を食べ終わって、食器を洗って片付ける。この辺の動きは毎日の習慣によるものだ。一通り片付けが終わったあと、湖畑は高藤に電話をかけた。しかし、なかなか高藤は出ない。諦めて携帯を切り、ベッドにほうり投げた。そのときだった。携帯が鳴った。湖畑は携帯を手に取った。画面を見ると、着信相手は高藤だった。
「もしもし?」
「なにかよう?」
高藤の声はどこか冷めていた。「なんだこいつ…?」と思ったが、気を取り直した。
「あぁ、悪い悪い。この前は忙しくて電話切ってしまって悪かったな。時間ができたから飲みにでも誘おうと思って。」
「…。」
高藤からの反応が無い。何だこの重い沈黙は。湖畑は高藤に不快感をもった。
「…じゃ、新宿で。」
ようやく高藤が一言放った。
「お、おう。今度の土曜日でいいか?」
「いいよ。時間は17:30がいいな。」
「わかった。」
「それじゃ。」
飲みに誘う必要があったのか?と湖畑は思った。なんだか乗り気じゃないし、楽しい飲みにはならなさそうだという気持ちが大きくなっていた。この気持ちを誰かに教諭したくなり、さっき電話した浅金と小山にメールで送った。
2人とも時間はばらばらだったが、似たようなメールが送られてきた。
「なんだかおっかないな。」
それが2人の認識だった。そして湖畑もそう思った。
頭の中が高藤のことでいっぱいになってしまったため、このモヤモヤを払拭しようとマナがいる店に行くことにした。マナに先客がいたので、終わるまで待つことにした。待つこと40分。湖畑は店の中に入った。
「なんか難しい顔してるね。なんかトラブルにでも巻き込まれたの?連帯保証人とか。」
マナの観察眼は凄いのかもしれない。湖畑はそう思った。
「いやいや、そんなトラブルには巻き込まれていないよ。実は―」
湖畑は高藤とのやり取りをかみ砕いてマナに伝えた。ちょっと前に学生時代の友人から電話があったこと。忙しくて電話を半ば強引に切ったこと。しばらくしてかけ直したら、なんだか素っ気ない返事が返ってきたこと。飲みに行く約束をしたが、なんだか飲みに行きたくなくなったこと…。マナは黙って話を聞いてくれた。
「忙しさを理由にいきなり切るのはひどいんじゃない?」
マナの顔はまじめだった。今までみたことがない顔だった。しかし、そのあとマナの顔はいつものように柔らかい顔に戻った。
「でも素っ気ない反応になるのも困っちゃうよね。なんだか難しそうなお友達だね。」
「そうなんだよ。」
そのあとマナのサービスを受けてリフレッシュした。高藤のことも前向きにとらえられるようになった。男は女がいないと駄目なんだなぁと安直ではあったが、これは事実だとも思った。
そして高藤と飲む日がやってきた。夏が過ぎて秋も深まる時期。しかし秋にしてはやや暑い日であった。
「やぁ、湖畑。」
「…。高藤?」
現れた高藤は、学生時代の面影をまったく感じさせなかった。頭はすっかり禿げ上がり、頬骨が浮き出るほど痩せこけた顔は、まるで骸骨のようだ。生気がまったく感じられない。これが本当にあの高藤なのか?湖畑は疑念を抱いた。目の前にいるのは、人間というよりもむしろ亡霊に近い存在のように思えた。かつての彼と変わらないのは、浅黒い肌と垂れ下がった目元だけ。それだけが彼のアイデンティティだとしたら、それはそれであまりにも哀れだと湖畑は感じた。
「そうだよ。じゃぁ行こう」
この男は必要最低限なことしか言えないのか。と湖畑は思った。高藤がゆらゆらと湖畑の前を歩く。まるで陽炎、もしくは幽鬼のようだった。5分くらい歩いただろうか。居酒屋のチェーン店についた。その間会話は全くなし。湖畑は少し居心地の悪い思いをしていた。
「ついた。入ろう。」
ようやく高藤が口を開いた。
「あぁ。」
2人は店の中に入った。店員が案内してくれた座席につく。掘りごたつがある個室。ちょうどいい広さだった。
「生でいいか?」
高藤が効いてきた。
「あぁ。生で。枝豆と玉子焼きがあればそれも頼む。」
店員がやってきた。高藤が注文をする。全くの無駄が無い。逆に言えば人間らしくない。必要最低限の会話だ。高藤が注文を終えるとお通しを一口食べた。それをみて湖畑もお通しを一口食べた。ちょうどいい塩辛さ。ビールが飲みたくなるようなお通しだった。
「少ししょっぱいな。」
高藤がそう呟いた。
「いや、これくらいがいいんじゃないか?ビールが飲みたくなるちょうどいい加減だ。」
「そうかな。」
「なんだか高藤と会話するのがキツイな。」と感じた湖畑は、さっさとこの飲み会を終わらせたくなった。そこで、高藤が湖畑に話したいこととは何なのか聞いて、さっさと帰るという方針にした。
「お待たせしました。ビール2つです。」
店員がビールを運んできた。2人はビールを受け取った。店員が去るのを見ると高藤がいった。
「乾杯」
「乾杯」
2人はジョッキを軽くぶつけた。湖畑はごくごくとビールを飲む。よく冷えたビールだ。ジョッキの半分くらいが湖畑の胃袋に収まった。高藤は2口ほど飲んだだけだった。
「それで、俺に話がしたいって?」
湖畑はジョッキをテーブルに置いて、高藤に言った。高藤の顔は一向に変わらない。幽鬼、陽炎…。
「あぁ、そんなこと言ったかもしれないな。別に何も無いけど。」
大きなため息が出そうだったが、グッとこらえた。
「…。そうか。とりあえずのもう。」
無難なことしか言えなかった。そこから沈黙が流れた。長い沈黙だった。メニューから一品料理を頼んで、料理が届いたらそれを食べる。時々酒を注文して、届いたら飲む。そんな時間が過ぎた。高藤はしゃべらない。酒が入っても話す様子は全くない。
「何かしゃべった方がいいのだろうか?」
こんな他人を寄せ付けないオーラを放っている高藤を相手に何を話せばいいのか迷ったが、最近何をしているのかなど無難なことを話すことにした。
「最近、どんなことをしているんだ?」
「別に何も」
「どんな仕事をしているんだ?」
「検体を運ぶ仕事」
「ゴルフはまだやっているのか?」
「やってないね。」
話が全く膨らまない。踏み込もうにもどのようにして踏み込むべきなのか、さっぱり見当がつかなかった。湖畑はなぜ気を遣わなければならないのか自問自答した。すると高藤が口を開いた。
「学生時代の頃は良かった。今では自分を相手にしてくれる奴なんていないからね。そろそろ帰ろう。」
高藤から少しだけ人間らしい言葉を聞けた気がする。しかしながら暗い感情が彼を支配しているように見えた。このままでは高藤はダメになる。いや、もう手遅れかもしれない。色々な思いが湖畑の中にできていた。しかしながら、早く高藤と別れたいという気持ちが強かった。今の高藤はブラックホールのようだ。下手に動けば自分が巨大な引力に押しつぶされてしまうかもしれない。
店員を呼び、会計をお願いする。料金はそれほど高くなかった。支払いは割り勘。
「これでいいかな。」
きっかり半分の金額を湖畑に渡した。湖畑がカードで支払うのを確認すると、高藤は「それじゃ」と一言だけ話して我先にへと闇の中に消えていった。時計を見ると19:30。長い時間居酒屋にいた気がしたが、実際は2時間詩か経っていなかった。この2時間、ほぼ食って飲んだだけ。会話がほとんどなく、実に実りの無い飲み会だったなと思った。しかし、高藤の放った最後の一言がやけに頭に残った。
「今では自分を相手にしてくれる奴なんていないからね。」
湖畑は頭の中で反芻した。
「相手にしてくれる奴なんていない、か…。」
『相手にしてくれる奴なんていない』の中には、浅金や自分も含まれているのだろうか。
「いずれにせよ、こんな飲み会はもうこりごりだ」
湖畑は空に向かって呟いた。雲の隙間から月がのぞいていた。湖畑の目には、その月は誰もいない中孤独に輝いている哀れな存在に見えた。


湖畑が目を覚ますと窓から明るい光が降り注いでいた。いつの間に寝ていたのだろう。まるで長い夢を見ていたようだ。スマホの画面を見ると時計は7時を過ぎていた。続いてメールアプリを起動してみる。高藤からのメールは確かにあった。
「随分と昔の夢を見たな。」
あの精神的苦痛を感じた飲み会から湖畑は高藤と会っていなかった。高藤もそうだが、他の浅金や小山ともそんなに連絡を取らなくなっていた。「それでも卒業してから3,4回は飲んだ気がする。」と湖畑は思った。そして前川は何をしているのだろう。前川は、絵が忙しいと言って大学を辞めた男だ。前川のことが気になりだしたので、学生時代に前川と仲が良かった浅金に連絡を取ってみることにした。スマホで浅金に電話をかける。しばらく呼び出し音がなって、電話がつながった。
「もしもし?」
「湖畑だけど。今大丈夫かな。」
「ん。今なら大丈夫。もう少しでバイトだけど。」
「急で申し訳ないんだけど、前川って今何してるか知ってる?」
「前川?そうか、湖畑は知らなかったのか…。」
浅金の話を聞いて、湖畑は電話を切った。浅金が言うには前川はすでに亡くなっていたらしい。2007年のことだった。大学を辞めてから、風景画やアニメの絵など、様々なジャンルの絵をかいてはネットに挙げていたらしい。しかし、外界との接触は皆無。どういう状態だったのか分からないが、最後に描いた絵は血にまみれた左手の絵だったらしい。そして死亡。死因は手首を切っての自殺だった。湖畑はこの話を聞いてショックを受けた。前川は孤独だったのだろう。孤独の重みに耐えかねて自ら命を絶ったのであれば、誰か前川を救うことはできなかったのか―。そのとき脳裏に高藤の顔が浮かんだ。
「もしかしたらアイツも孤独なのか?」
高藤も、もしかしたら命を絶つことになるかもしれない。湖畑ならそれを救うことができるかもしれない。そういう使命感が湖畑の胸に宿った。スマホから高藤の携帯に電話をかける。出ない。10秒、20秒経っても出ない。嫌な予感が頭をよぎる。その時だった。
「…もしもし。何?」
電話越しに聞こえた声は間違いなく高藤だった。湖畑は内心ほっとした。
「あ、あぁ。湖畑だけど。前にメールをくれた飲みに行く日を伝えようと思ってね。」
高藤は黙っている。
「来週の金曜日の夜とかどうだろう?」
ごくりとつばを飲み込む。湖畑は緊張していた。今にでも命を絶とうとしているかもしれないという危うさをもっているやつを相手にしているかもしれないからだ。
「来週の金曜日の夜か。わかった。いいよ。それじゃ。」
電話がぷつりと切れた。飲みに誘ってきたのは高藤だった。湖畑はまるで自分が飲みに誘っているかのような錯覚に陥った。決まったのは曜日だけ。時間と場所はどうなるのだろう。高藤から連絡が来るのだろうか?とりあえず前日まで連絡が来なかったらこちらから連絡してみよう。湖畑はそう解釈した。その日の夜に湖畑は久しぶりに小山に電話をした。
「珍しいな。なんかあったのか。」
湖畑は小山に浅金から聞いたこと―。すなわち、前川が自殺で亡くなったことを伝えた。小山は少しの間黙り込んでいた。
「なんだか孤独だったのかもしれないな。」
湖畑はそう呟くように言った。
「んー。あいつとはあまり仲が良いってわけじゃなかったけど…。不思議な雰囲気だったよな。考えることもよくわからなかったし。」
「あぁ…。」
「それでも知人が亡くなったというのは…。うん。きついもんがあるな。しかも自殺。」
「そうなんだよな。」
「なんて言っていいかわからない。安らかに眠ってくれとしか言えないな…。」
「…。」
湖畑も黙った。空気が重い。
「そういえば。」
「ん?」
「今度高藤と飲みに行くことにした。」
「え?高藤?」
「あぁ。」
「大丈夫かよ。前に飲みに行った時、ボロクソにいってたじゃないか。」
「あれ?そうだっけ?」
「何だよ。覚えてないのかよ。"あいつ、あんなにコミュ障だったっけ?"とか。"ゾンビみたいなやつとはもう絡みたくない"とか言ってたぞ。」
湖畑は全く覚えていなかった。そのまえに小山と飲んだんだっけ?記憶を遡る。思い出した。フリーランスになって2年ほど経って落ち着いたときに、一度だけ飲んだ。しかし、どんなことを話したのかは全く覚えてない。
「なんだか、ぼんやりと覚えている…。」
「ふーん。まぁいいや。仕事の方も忙しかったみたいだしな。まぁ、今度高藤にあったらよろしく言っておいてくれ。」
「…。なぁ。」
「ん?」
「お前も来ないか。この飲み会に。」
「は?」
「大学時代の友人同士の飲み会ってことで。おまえにも高藤を見てもらいたいんだよ。」
「うーん…。」
小山は考え込んでしまった。小山はあらゆる物事について、得られるものがあるかどうかを考える節がある。悪く言えば、損得勘定で動く男だ。得があればやる。損があればやらない。シンプルな行動原理だ。しかしながら好奇心旺盛でもある。もし小山が今の高藤に興味があるならば、小山は参加を選ぶはずだ。好奇心は損得勘定を凌駕する。
「わかった。いこう。場所と日程は?」
「それが来週の金曜日の夜ってことしか決まってないんだよね。」
「なんだよ。そうなの?まぁ店はどうにでもなるとして…。時間くらいは決めてほしかったな。」
「ごもっとも。」
「じゃぁ何かあったら連絡くれ。それじゃ。」
「おう。またな。」
湖畑はふぅっと息を吐いた。そして大きな成果を得ることができた。高藤との飲み会に小山を巻き込むことに成功した。高藤の相手はなかなかに疲れるということを学んでいた。2人でもしんどいかもしれないが、1人よりはマシだろう。そして湖畑はスマホで高藤にメールをした。
「小山も誘ってみた。3人で飲もう…っと。」
湖畑は高藤にメールを送った後、ソファにドカッと座った。とりあえずのタスクは完了した。あとはどうなるか…。高藤は孤独なのだ。断るという選択は無いと思うが…。そう色々考えているうちに腹の音が鳴った。湖畑はまだ夕飯を食べていない。
「しまった。夕飯の準備を全くしていない。今日は外に行くか。」
そうして湖畑はショルダーバッグを手に取り、財布と家の鍵、そしてスマホを放り投げるように入れて外に出た。
「すけっちが空いているといいんだけど。」
時間も遅かったのもあって、すけっちは多くのサラリーマンでにぎわっていた。店主が湖畑に気付いた。
「コバちゃん。いらっしゃい。連日なんて珍しいね。」
「ご飯作るの忘れちゃって。」
カウンターが空いていたのでそこに座る。お通しとおしぼりを持ってきてくれたのはタカハシだった。
「ありがとう。あと中ジョッキで生もらえるかな?」
「わかりました。」
多くの客がいるからか、そそくさと行ってしまった。無理もない。客が多ければ忙しくなるのは当然だ。現にあちこちで注文の声が聞こえる。アルバイトはタカハシの他に2人いた。3人ともあちこち歩き回っている。アルバイトのみんなが忙しくしているのを見ながらビールを飲む。ビールは冷えている。のど越しがいい。湖畑は焼鳥の盛り合わせと枝豆を頼むことにした。
「すみません。枝豆と焼鳥の盛り合わせ10本のやつお願いします。」
「わかりゃしたー。」
注文を取りにきたのはモニワという男の子だった。少しチャラついた外見と言動ではあるが仕事はしっかりしているようだ。モニワは2年くらい前からずっと働いている。客があまりいない時間帯のときに少し話したことがある。今は大学生であること。趣味はダンス。とりあえず金をためて車を買いたいというようなことを言っていた。貯金はどれくらいできているのだろう。
「なんだか、最近昔のことばかり思い出すな。」
1人ぼやいた。それが聞こえていたのだろう。店主が話しかけてきた。
「なんだいコバちゃん。昔が懐かしいのかぃ!?大事なのは今だよ。ってお節介だったかな!?ガハハハ。」
湖畑は少し恥ずかしくなった。柄にもないことをつぶやいてしまったからかもしれない。
「でもな。これだけは言えるよ。過去を悔いても何もならないってね。反省はしてもいいが後悔はないように。前を向いて進めってね。」
湖畑は店主が言っていることは間違いない。ただ、どこぞの本に書かれていることをそのまま言っているようにも聞こえた。湖畑は素直に店主の言葉を素直に受け取ることができなかった。
「そうだとは思いたいんだけど。そう簡単なことじゃないって気がするんだよね…。」
「え、なに。悩みあるのかい?」
タカハシが枝豆と焼鳥を持ってきて、カウンターの上においてくれた。タカハシはまたそそくさと去って行った。湖畑はビールを片手に店主に話した。
「あ、いや、俺じゃないんだけどね。友達がちょっとね。」
「ふーん。そういやこの前うちに辛気臭い客が来たんだよ。」
湖畑たちの会話が聞こえたのか、モニワが横から入ってきた。
「あー。あのゾンビみたいなおっさんのことっすか。あのおっさん不気味でしたね。」
「そうそう…って。こら!モニワくんは仕事に戻って!」
「へーい。」
そういってモニワは仕事に戻っていった。辛気臭い客にゾンビみたいな男…。湖畑の脳裏には高藤が浮かんでいた。
「…。その客って?1人で来たの?何飲んでた?」
湖畑は店主に聞いた。
「1人だったよ。なんか仕事の愚痴を言ってたな。飲んでたのはウィスキーのロックだったかな。早々に気持ち良くなったみたいで1時間くらいで帰ったよ。」
湖畑はほっとした。高藤はウィスキーは飲めない。学生時代にウィスキーを試しに飲んで、すぐに吐き出していた。高藤はビールやサワーなど、飲みやすい酒しか飲まないのだ。
「そうだったんだ。結構いるのかね。そういう人って。」
「そりゃいるよ。酒に逃げたくなる気持ちもわからんでもないけどね。立ち直るのは難しいだろうな。あれは。」
湖畑はぐいっとビールを飲みほした。
「もし…。もし、立ち直らせようとするならどんなことが必要ですかね。」
店主はうーんと唸りながら考えているようだ。
「まず1人じゃ絶対無理だね。周りから支えないと崩れてしまう。かといって支える側もあれこれ言うのは良くないっていうよな。難しい。」
はぁっと店主と湖畑は深いため息をついた。
「コバちゃんの周りに、そういうやつがいるんだね。」
「あ、いや…。うん。はい。」
湖畑は焦ってしまったが観念して見せた。そう。湖畑にはこの世に絶望しているかもしれない友人・高藤がいる。ある日突然命を失わないように何かとくい止めたいと願っている自分。高藤を助けるためには周りの人間が支えるしかない。湖畑はその支える人間になろうと思った。湖畑はもう一度ビールをお代わりした。
焼鳥をほおばりつつ、ビールを飲む。締めに焼鳥丼を食べることにした。
「今日も良く食べるね。」
店主が感心しているかのような顔をしていた。
「自分でもびっくり。それにしても何を食ってもうまい。」
店主は笑っていた。周りを見ると客が少なくなり、空席が増えてきた。
「結構長い時間いたんだな。」
湖畑が店について2時間は経過していた。一人で酒を飲んで2時間。時間が経つのは本当に早いものだなと思った。焼鳥丼を食べ終えて、会計を済ませるとまっすぐ家に帰った。
家に帰ると真っ先にシャワーを浴びた。熱めのお湯は酔いと共に疲れを流してくれるようだった。適度な水圧が気持ちよく感じられた。
シャワーが終わった後、組み立て終わったパソコンの電源を入れた。少しゲームをやってから眠ろうと思った。街を作って発展させるゲームだ。限られた資源でどれくらい大きな町を作れるかを競うゲームで一定のスコアを満たすと次のステージへと進むことができる。ステージが進むごとに自分の好きなように街をつくるのがこのゲームの醍醐味だが、スコアの判定は結構シビアだった。
ゲームに夢中になっているとスマホが鳴った。相手は高藤からだった。湖畑はふぅっと息を吐いてから電話に出た。
「もしもし?どうした?」
「今度の飲み会、小山も来るんだね。」
「あぁ、まずかったかな?」
「湖畑は小山とよく飲んでるの?」
「いや、たまたまだよ。」
「ふーん。そうか。じゃ、また。」
「あ、ちょっと待って!」
「なに?」
「飲む時間。何時からにする?」
「時間…。」
「19:00開始でいいかな?」
「わかった。いいよ。それじゃ。おやすみ。」
プツリと電話が切れた。今に始まったことではないが、湖畑は自分の用件だけ済ませてすぐに切るのは人としてどうなのかと思った。それにしても高藤は俺に何が聞きたいのだろう。高藤は小山と何かあったのだろうか?俺が小山と会うと何かまずいことでもあったのか?湖畑は少し考えたが、考えても無駄だということに思い至り考えるのをやめた。そして湖畑は小山にメールを送った。
「飲む時間は19:00からになった。」
返信がすぐに来た。
「わかった。」
ベッドの上に寝転がり、天井を見つめる。
「辛気臭いゾンビ男は日本にどれくらいいるんだろう。」
湖畑はゆっくりと目を閉じた。
あっと言う間に金曜日になった。朝から分厚い雲が太陽を隠している。遠くでは雷が鳴っていて、雨も降っていた。湖畑は仕事を始める前に近くのコンビニに出かけることにした。アイスコーヒーと朝食になるものを買うためだ。普段なら冷蔵庫に何かしらあるのだが、このところ忙しい日が続いており、最近はろくに買い物に行けなかった。雨の中、傘をさしてコンビニに行くと、客はそれほどいなかった。サラダとサンドイッチ、カップ麺、アイスコーヒーと1リットルパックのお茶と野菜ジュースを買って家に帰った。
仕事前にサンドイッチを食べてからパソコンの前に座った。今は企業向けのECサイトを構築している。
一通りWEBサイトを構築した後、テスト工程に入る。サイトのページに問題は無いか、ブラウザの互換性はあるかどうかなどのテスト項目を作成し、それを計画的に実行するものだ。テスト計画を作成するのは時間がかかるが、期限まではまだ余裕があった。そのため自分のペースで順調に仕事を進めることができている。テスト計画の20%ほど作ったところで昼になった。湖畑は朝買ってきたカップ麺にお湯を注ぎ、蓋をした。買ってきたカップ麺は豚骨醤油の本格的なラーメンだった。めったに食べることはないが、たまにはということで買ったものである。4分ほど経って蓋を開けると、中から芳醇な豚骨醤油の匂いが漂ってきた。
「これはうまいかもしれん」
ひとくちすすって虜になった。カップ麺でここまでの味が出せるとは。味の進化に感動していた。カップ麺を食べ終わるとベッドの上に寝転がった。昼食を食べ終えた後、午後1時まで睡眠をとるのが日課だ。昼寝を終えて仕事に戻る。クライアントに進捗を報告し、フィードバックを貰う。
「今のままで問題ありません。このまま進めてもらえればいいです。何かこちらで対応が必要なことなどはありますか?」
「いえ。今のところは特に対応して頂く必要があるものはありません。何か問題が見つかりましたら連絡します。」
「わかりました。それでは失礼します。」
ネットミーティングを終えて一息つく。冷蔵庫の中に入っているコーラをグラスにあけ、一気に飲んだ。ミーティング後のコーラを飲むことも習慣になっていた。テストの計画書も6割完成したところで仕事を切り上げた。飲みに行く時間まであと1時間はある。湖畑はシャワーを浴びてリフレッシュすることにした。シャワーから戻るとメールが来ていた。相手は小山だった。
「ちょっと早めにつくようにする。」
湖畑は「了解」とだけうち、メールを送った。
「俺も早めに出るか。」
そういってショルダーバックの中に財布と家の鍵、スマホを入れて家を出た。待ち合わせに到着したのは18:30頃。すでに小山はいた。
「ひさしぶりだな。」
「湖畑こそ」
直接会うのは久しぶりだ。小山は少し太った印象を持ったが、大きな変化は無いように見えた。
「前にも言ったかもしれないけれど、高藤はまるでゾンビだから…。」
「んん?あぁ、わかった。ちょっと楽しみだな。」
高藤がくるまで二人は近況報告をした。湖畑はフリーランスの身になって安定して仕事ができていることを話した。小山は上司にいいように使われて、トラブルが起きたら火消しに躍起になっていることと、火を消し止めても誰からも褒められなくてつらいということを話した。
「俺も絶対転職するんだ。実は今会社を探していてね。」
「そうだったのか。頑張れー。もうやってるかもしれないけれど、業務経歴を洗い出して整理しておいた方がいいぞ。どんな役割でどんなことをやっていたか。苦労したところとか面接で言えるといいな。」
「業務経歴書か。なるほど。わかった。」
そんなことを話しているうちに、19:00を回った。
「もう19:00になったな。本当に来るのかあいつ?」
小山は時間に厳しいところがある。高藤は…どちらかというとルーズ寄りだ。それでも大きく遅刻したことはなかったはずだ。
「ん、さすがに来ないときは連絡してくるでしょう…。」
「そうかなぁ。」
さらに5分ほど経過したときだった。二人の前方からゆらゆらと歩いてくる男がきた。
「きた。高藤だ。」
「え?どこ?」
小山はすぐ目の前にいる男が高藤だということが理解できていないらしい。
「久しぶりだね。2人とも」
湖畑は小山の顔をちらりとみた。小山は何とも言えない顔をしている。口をぽっかり空けて魂が抜けてしまったような顔だ。
「え?高藤?全然わかんなかった。本当にゾンビみたいだな…。」
「おま!!?」
湖畑は肘で小山をどついた。
「そうかな。俺、そんなに変わったかな…。」
湖畑は心の中で「めっちゃかわったよ…」と静かにツッコミを入れた。
「悪い悪い。気にしないでくれ。本当に久しぶりで。つい…。んで、高藤さ。今は何をしてるんだよ?」
「検体を運ぶ仕事をしているよ。どこ行くの?」
「肉と酒が飲めるところがいいな。」
「この辺は飲み屋街だから、歩いていればどこかには入れるよ。」
「じゃ、とりあえず歩こう。」
5分くらい歩いたところに、肉がメインの居酒屋があった。すぐ案内できるとのことだったのでそこに決めた。店の中は少し狭いが、個室になっていて落ち着いて飲めそうな店だった。
「よさそうな店に入れてよかったな。」
そう小山が言って先頭を歩く。照明が薄暗く、やや狭い個室に案内された。テーブルを挟んで向かいに座るのが高藤。照明のせいか、高藤の表情がより一層暗く見える。今夜はどういう飲み会になるのだろう。何とも言えない不安が湖畑を襲っていた。
「とりあえず、生でいい?」
小山が湖畑と高藤に聞いた。湖畑はいいといったが、高藤は瓶ビールにするといった。
「俺は思うんだけどね。瓶ビールの方がうまく飲めるんだ。それになんか得をした気になるのさ。」
「そうなのか。」
小山がそう軽く返すと、チャイムを鳴らして店員を呼んだ。店員はすぐ来てくれた。生を2つと瓶ビール1つ。グラスを1つと枝豆、卵焼き、たこわさ、ナスのお新香、軟骨の唐揚げを注文した。最初に生2つと瓶ビールが届いた。高藤が瓶ビールをグラスに注ごうとすると、湖畑がそれを制して湖畑がビールを注いだ。
「…。悪いね。」
静かに高藤が言った。
「まぁこれくらいは。」
湖畑はそう返した。ビールを継ぎ終わると乾杯とグラスをカンとぶつけた。そして一気に流し込む。暑さが残る季節に冷たいビールは至高だった。高藤はグラス一杯に告がれたビールを飲みほしていた。
「高藤、早いな。注ぐよ。」
今度は小山が高藤にビールを注いだ。泡が半分くらいになった。小山は軽く謝り、高藤はいいよと返した。そしてまたごくごくとビールを飲んだ。
「今日はありがとう。ちょっと聞きたいこととかあってね。」
「なんだなんだ。前に飲んだ時はこんなこと言われなかったぞ。」と湖畑は思った。そして聞きたいこととはなんだろう?なんだか深刻なことなのだろうか。
「どうしたんだよ改まって。聞きたいことって何?」
小山が言う。
「あのさ。2人は楽しい生活を送れているのか?」
重い。今、この場の重力が大きくなっているような気がする。湖畑はそう思った。
「俺さ、社会人になってからそんなに楽しいって思えるようなこと無かったんだよね。むしろつらいことばかりだった。」
注文した料理が運ばれてくるが、誰も料理を取ろうとしない。この重苦しい雰囲気がそうさせているのだろう。高藤のどんよりと光を失った目から目をそらすことができないでいた。高藤は続ける。
「実は俺、高校の時にいじめにあってたんだよね。毎日教室に行けば花が供えられてるし。みんな無視するし。教科書を破かれたこともあったな。俺が何をしたんだって思ってた。いじめられる心当たりなんてなかったからね。」
重苦しい空気がより一層重くなった気がする。
「先生はあてにならないし、親にも頼りたくなかった。どうすればいいか悩んだよ。でも。うじうじしてたら面白がってエスカレートするって話を聞いたことがあったから、逆に陽気になってみたんだ。「なんだー!花?俺のファンからかな?嬉しいな」みたいなこと言って。」
「そしたらいじめてたやつさ、最初こそ笑ってたけどだんだん飽きたんだろうね。いじめは治まったよ。あいつらにいじめる理由なんてなかったんだ。自分たちが面白く感じれば誰だって標的になり得るんだ。俺はそれに気づいた。だから、いじめられない様にするためには、そういうキャラを続けなきゃならない。そう。大学時代もいじめられないように、なるべく陽気なキャラを演じてたんだ。そして社会人になってからも。」
高藤は一息ついてビールを飲んだ。そして卵焼きをちょうどいい感じに分けて、一口で食べた。
「でもさ。社会人になると違うわけよ。俺の上司がさ、次々に仕事を渡してくるの。書類整理とか検体のチェックとか。言われればやるじゃん。すると"もう終わったのか。じゃ、これもできるな。"みたいなこというんだよ。"できません"って言ったら"なんでできないんだ"って言われるし、できなかったら"なんで早く言わないんだ"とか言われて。あいつもいじめっ子と同じ。反応を見て楽しんでいるだけなんだ。もうなんだか疲れちゃってさ。もうどうにでもなれって。それで俺さ。上司を階段から突き落としたんだよね。誰がやったかは誰も分かってない。落ちた先に運よく人が居てね。その人が救急車を呼んだんだ。人から聞いたら腕を骨折して、頭をぶったから一応救急車に運ばれてった。死ねばよかったのに。」
高藤の告白に理解が追い付かない。どんな顔をすればいいのだろう。なんて言ってあげればいいのだろう。
「相談とかできなかったのか?」
小山が高藤に言う。
「君たちみたいな人は簡単にそう言ってくれるよな。相談できなかったのかだって?だれに相談するんだよ。周りに誰もいないのに。そしてなんて相談するんだよ。"僕いじめられてるんだよね"って相談するのか?人は皆自分がかわいいんだよ。巻き込まれないようにいじめられっ子から離れていくだけさ。」
心が痛む。心臓がギュッと締め付けられるようだ。
「2人はこの話を聞いてどう思う。無理して仮面をかぶらなきゃ楽しい人生なんて送れないって思うかい。それともそんなことをしなくても人生を楽しむ方法があると思うかい?」
湖畑は答えられない。小山も黙っている。
「俺もさ。仮面をかぶらずに楽しく過ごせたらいいなとは思うよ。社会人になって疲れた時、誰かと遊びたいと思ったこともあるよ。だけど、みんな忙しいと言って誰も遊んでくれなかった。浅金も。連絡しても"忙しいから。またあとで連絡するよ。"とか言うんだ。でもそこから連絡なんて来やしない。そうやってみんな俺から離れていくんだ。」
なんてねじ曲がった解釈だろう。そう湖畑は思った。しかし、高藤はもう人の話を聞こうとしないだろう。何を言ってもダメな気がする。おそらく高藤は「きれいごとだ」と言って受け取りはしないだろう。だけど言わずにはいられなかった。湖畑が口を開く。
「ごめん、高藤。きれいごとにしか聞こえないかもしれない。たしかに仕事が忙しくて相手にできないこともあるとは思う。でもそういう友達って全員が全員じゃないはずだ。一人で解決できないものがあれば、誰でもいいから連絡したほうがいいと思うよ。俺だっていいさ。友達として力になれることがあれば頼ってほしい。」
高藤は黙っている。グラスに残っていたビールを飲みほした。
「それができれば苦労はしないんだよ。」
高藤ははぁっとため息を吐き出した。
「みんなはいいよな。楽しい生活を送ることができてて。俺はもうこの先楽しい生活が送れるなんて思えないよ。」
沈黙が続く。これ以上なんて言っていいか分からない。
「みんな大なり小なりな悩みは持ってるけどな。」
ぼそっと小山がつぶやく。
「そうかな。」
「先のことなんて誰にもわからないからな。漠然とした未来に対して、最悪の結末にならないように取捨選択を誰もがしていると俺は考えてるよ。」
小山は確かにそういうところがある。最悪にならないように選択をする。
「まぁいいさ。あぁ。もっと楽な人生を送りたかったなぁ。」
こうして、飲み会は終わった。どんよりとした課題を残し、いつも以上に疲れた飲み会だった。高藤の吐き出した闇はもしかしたら自分たちにも訪れるかもしれない。飲み会が終わり、小山と高藤と別れてからも湖畑は高藤が言ったことを頭の中で反芻していた。
「"それができれば苦労はしないんだよ。"か。」
小山はまっすぐ家に帰りベッドの上に横になった。

次の日の朝。
高藤は六本木ヒルズの展望台にいた。天気は良好だが、大きな入道雲が太陽を遮っていた。
ここからは東京が一面見渡せる。新宿の高層ビル群、レインボーブリッジ、東京スカイツリー。東京のシンボルがよく見える。
「今まで俺は狭い世界にいたんだ。」
高藤はポケットからスマホを取り出し、アドレス帳から登録されている人たちを次から次へと削除した。
「ここには俺を理解してくれる人はいない。きれいごとを言うだけの人間が多すぎる。俺は俺のことを知っている人が居ない場所に行く。みんな。さよならだ。」
六本木ヒルズの展望台を後にして、高藤は東京駅に向かった。そして東海道新幹線に乗り、高藤のことを知る人が居ないところを目指して旅をするのだった。答えの無い答えを探して。
そしてそれは、学生時代から灯り続けた友情の灯が消えた時でもあった。